東京高等裁判所 昭和44年(う)1816号 判決 1970年1月27日
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人八木下巽作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用し、これに対し次のとおり判断する。
第一弁護人の控訴趣意(事実誤認)について。
(1) 原判決が掲げる証拠を精査検討するとき、本件のいきさつは、原判示の日時、被告人を含む七名の者が、丹沢の山登りに行つた帰りの電車の中で、しかも、ちようど直流から交流への電源切換で車内の電燈が消えて暗くなつた、ごくわずかの時間内の出来事である。
被告人は、新聞紙を敷いて車内の通路に腰をおろし、右手に雑誌を持つて読んでいた。すぐそばには仲間の一人である荒井浩が立つていて、被告人と荒井は、ふざけ合つていた。ちようど電源切換で車内が暗くなつたとき、荒井が、たわむれて被告人の頭をつついた。被告人も、これに呼応して、腰をおろしたままの状態で、じよう談に荒井に当てるつもりで、左手のこぶしで、足を一回なぐつた。ところが、たまたま車掌の被害者が検札に来てすぐそばに立つていたので、荒井を殴るつもりが、間違つて車掌の左ひざに当つてしまつた。
ついで車内の電燈がついて明るくなり、被害者は、「なぜ乱暴するのか」ととがめた。これに対し被告人らの仲間の一人が、「間違つてやつた」というだけで、事情を述べて明確に陳謝の意を表する者がなかつたので、(この点に関する被告人の供述は、証人石川泉徳の証言に照して信用できない)、憤がいした被害者は、被告人ら七名を土浦駅で警察に引き渡すに至つた。被害者は、勤務が終つてから直ちに水戸鉄道病院に行つて、湿布薬をつけてもらつて帰宅した。けがの程度は、内出血斑が認められる程度で、三日位で治つてしまつた。という事実であることが認められる。
原審および当審証人石川泉徳の証言中、右説示に反する部分は、信用できない。
(2) 以上要するに、本件は、被告人が仲間とふざけ合つていて、仲間に当てるつもりで、その足を殴ろうとしたところ、たまたま運悪く電燈の消えたときであつたため、間違つて近くに来ていた被害者のひざに当つて、軽いけがを負わせるに至つたという事案であることが明らかである。
そうしてみると、被告人の所為は、暴行としての違法性を欠くものであるから、本件は、過失傷害罪の成立する余地はあるとしても、傷害罪は成立しない場合であるというべきである。
原判決が、それにもかかわらず、傷害罪の成立を認めたのは、事実を誤認したからであり、判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
第二破棄自判
以上の理由により、刑訴法三九七条一項、三八二条により、原判決を破棄した上、同法四〇〇条但書により、当裁判所は、ただちにつぎのとおり自判する。
本件公訴の要旨は、
被告人は、昭和四三年九月二二日午后七時七分頃、国鉄常磐線取手藤代間を進行中の下り第四七七M電車内において、検札中の国鉄水戸車掌区車掌石川泉徳(当四七年)に対し、なんら理由もないのに、手拳で同人の足部を一回殴打し、よつて同人に対し全治三日間を要する左膝蓋部打撲症を負わせたものである。
というにあるが、外形的事実は、そのとおりであるとしても、前記のとおり、本件は、傷害罪の成立する余地のない場合であることが明らかである。なお、過失傷害の点については、当裁判所の釈明に対して、検察官は、過失傷害を予備的訴因として追加しないと述べているのであるから、この点を問題とする余地もない。
以上の理由により、刑訴法三三六条により無罪の言渡をすることとして、主文のとおり判決する。(江里口清雄 上野敏 横地正義)
控訴趣意
弁護人八木下巽の控訴趣意
原判決は公訴事実の全部を認定し、被告人に罰金三千円に処するとの有罪判決を宣告した。
しかし原判決は事実を誤認したものであり、かつ理由にくいちがいがあるから原判決を破棄されたうえ、無罪の裁判を賜りたい、以下その理由を述べる。
一 原判決には事実の誤認があつてその誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。
(真相)
(一) 被告人が、仲間と七人で丹沢に山登りに行つた帰途の電車内の出来事であつた。ちようど直流から交流に切り替る時で車内の電燈が消えた。
被告人は車内の通路に坐り、雑誌を読みながら、仲間の荒井治(二五才)とふざけ合つていた。
荒井は、被告人の頭を左手で突いた。被告人は突嗟に反射的に左手を出して荒井を打つた。被告人は右利であるが、右手に雑誌を持つていたのである。電気は消えて暗かつたので荒井にあてる意思で左手を出したのであつた。
まさしく反射的行動であつた。
ところがたまたま車掌の被害者石川泉徳が検札のため立つていたのでその左膝に当つてしまつたのである(荒井治の司法警察員に対する供述調書、同人の証言、被告人の供述)。
(犯意否認)
(二) 被告人に暴行の意思はなかつた。
荒井もふざけていたもので、荒井がいたずらの気持で被告人の頭を突いたのに対し、被告人はこれにこたえる趣旨で同じようにいたずらする気で左手を前に出したのである。
この場合被告人の左手が他人の身体にふれたとしても、したがつて客観的には有形力の行使であると解されるにしても、暴行の意思があつたとするのは社会的常識に反する。
あるいは違法性がないともいえる。
罪とならないことは明らかである。
(被告人の直後の行動)
(三) その直後被害者にとがめられるや、被告人は直ちにどうもすみません、荒井とまちがつてなぐつてしまつた。かんべんして下さいとあやまつている(荒井治および被告人の司法警察員に対する各供述調書)。(この点につき石川は否認する趣旨の証言をしているが同人の鉄道公安官に対する昭和四三年九月二二日付供述調書においては、「何をするか」といつたら「おれではない」といつて他の男を指した。その男は「まちがいだ」といつた。と述べている。)
(動機の不存在)
(四) それどころか、当つた相手は被告人が予想しなかつた車掌の石川泉徳であつた。
被告人は石川に対して暴行を加える何らの動機を持つていない。証拠もない。
もつとも石川の証言のうちには被告人において石川自身に対して暴行の意志を持つていたかの如くいう部分があるが憶測の域を出ないし、かつ後にふれるように同証人の被害感情と記憶ちがいと考え合わせると措信しがたい。
原判決は動機について「なんら理由もないのに」という。原判決は、ついに本件犯行の動機を認定しえなかつた。
これは不可解である。人間が行為するには必ず動機があるべきである。
被告人は犯意を否認しているのである。まして有罪と認定する以上動機を認定しないでは被告人を納得させることが出来ない。暴行傷害の事件において動機が重要な意味を持つこと動機を必ず認定することは裁判の常識である。
本件においては公判冒頭において弁護人においてなんら理由もないのに人をなぐる者があろうか、理由は必ずあるはずであり、またそれは立証されなくてはならないと陳述している。動機は本件審理における中心課題であつたはずである。
(違法性の認識、被害者の承諾)
(五) 被告人は荒井を打つことについては同人の承諾が予想され、または承諾が期待されており社会常識的にそれ故法律上も許されるものと信じていたしまた前掲諸事情の下ではかく信ずるについて相当の理由があり、犯意がないものと解すべきである。
(被害者証言の信憑性)
(六) 被害者の証言には、次のような記憶ちがいがあり、また、被害感情が強すぎると思われるふしがあり、信憑性に疑問がある。
(イ) 右証言は、被告人が足で蹴つたという。
これは被告人の供述とくいちがうが、検察官も裁判官もこの証言を排斥している。記憶違いであることは明らかである。
(ロ) 右証言は、それよりさきにした鉄道公安官に対する供述ともくいちがつている。
被告人がその場で「まちがいでした」と答えている点についての弁護人の質問に対する供述から明らかである。
(ハ) 右証言のうち傷害の程度および痛みについてのべる部分は、医師江島彦四郎の証言に対していささか大げさすぎるようである。
石川証言によるとびりびりと痛くずきんずきんとした。のであり証言当時(二月二七日本件後五ケ月経過)においても「このように雪の降つた日は痛い」という。
ところが同医師は、「発赤、腫張はない。わずかに内出血斑があつた。その大きさは拇指頭より小さかつたと証言している。
(被害者の意識)
(七) 被害者は車掌、診断書を作成したのは鉄道病院勤務の医師、司法警察員として捜査取調に当つたのは鉄道公安官であつた。
被告人は国鉄の被害者意識の犠牲にされたような気がしてならない。
(理由のくいちがい)
二 原判決四(3)、三枚目八行目以下に次の記載がある。
「荒井とふざけてしたものでありまた荒井の承諾が予想されその承諾を期待しえたとしても」「いやしくも被告人の行為は人を殴打しこれを傷害したものであるから」
ところが、前段の場合は暴行の犯意がない。後段は暴行の犯意がある場合である。
前段と後段とは論理的につながらない。
原判決理由にはくいちがいがある。
原判決は、有形力の行使によつてそれだけで暴行罪が成立すると考えているもようである。
【参照】原審判決の主文ならびに理由
主文
被告人を罰金三、〇〇〇円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
証人石川泉徳、同江島彦四郎に給した訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
一、罪となるべき事実
被告人は昭和四三年九月二二日午後七時七分頃、国鉄常磐線取手藤代間を進行中の下り第四七七M電車内おいて検札中の国鉄水戸車掌区車掌石川泉徳(当四七年)に対し、なんら理由もないのに手拳で同人の足部を一回殴打し、よつて同人に対し全治三日間を要する左膝蓋部打撲症を負わせたものである。
(証拠の標目省略)
三、法令の適用
刑法二〇四条、罰金等臨時措置法二条、三条、刑法一八条、刑事訴訟法一八一条一項本文
四、弁護人の主張に対する意見
(1) 方法の錯誤の主張について
被告人は荒井を殴打する意思で現実には車掌石川を殴打したものであるから被告人の予見認識したところと現実に発生した事実とが具体的に一致しなかつたとしてもいやしくも人を殴打する意思で人を殴打したもので、ともに同一の構成要件の範囲内であつて目的の錯誤と同じく故意の責任を阻却しないものと解する。(昭和八年八月三〇日大審院判例、昭和二四年六月一六日最高裁判所判例)
(2) 違法性の認識がなかつたとの主張(自己の行為が法律上許されるものと信じたこと即ち法律の錯誤の主張について)
違法性の錯誤として問題となるのは構成要件該当の事実を認識しながら、しかも違法性の認識を欠く場合であるが法律の錯誤は故意を阻却しないとすることは判例の一貫した基本的態度であり昭和二六年一一月一五日の最高裁判所判例も犯意があるとするためには犯罪構成要件に該当する具体的事実を認識すれば足りその行為の違法を認識することを要しないし、またその違法の認識を欠いたことにつき過失の有無を問うを要しないと判示している。
(3) 違法性の認識の可能性がなかつたとの主張について
右の考え方は期待可能性の理論と共通の基礎に立つものと考えられるが、要するに違法性の認識は故意の要件ではないが、違法性の認識の可能性は故意の要件をなすというに帰する。
本件の場合荒井とふざけてしたものでありまた荒井の承諾が予想されその承諾を期待したとしてもいやしくも被告人の行為は人を殴打する意思をもつて現実に人を殴打しこれを傷害したものであるから社会的に違法性がないと認められる範囲を越えたものであつて当然違法性を認識し得べかりしにも拘らず過失によりこれを認識しなかつたものというべく違法性認識の可能性を欠くものとは解し得ない。(昭和四四年七月一一日 土浦簡易裁判所)